ゴム風船から始まる縁日玩具問屋のルーツと流行りもの

縁日玩具問屋は、戦後大ブームになって飛ぶように売れたゴム風船を扱い始めるところから始まります。
ゴム風船からはじまり、縁日、お祭りでヒットした商品を順を追ってみてみましょう。





■1905年(明治38年)頃
日露戦争の戦勝祝いにゴム風船が使われて、一般に広く玩具として認知されたと言われています。


■1912年(大正1年)頃
日本にゴム風船工場が多く立ち上がり、海外への輸出もこのころ始まります。


■1933年(昭和8年)頃
ヨーヨーがヨーロッパ、アメリカでブームになります。
海外土産としてアメリカから日本に入ってきたヨーヨーは当時ブームになったそう。ただしとても高価な商品だったため、安くたくさん売りたいと考えて、価格を1/10に抑えたゴム風船でヨーヨーを開発。これが水ヨーヨーの始まりとなったようです。


■1943年(昭和13年)頃
第二次世界大戦下ゴム統制が行われ、戦前に大変人気のあったゴム風船や水ヨーヨーなどの趣向品の生産には生ゴムが制限されていました。


■1946年(昭和21年)頃
戦後の荒れ果てた日本で、縁日玩具問屋は、いわゆる露店商(テキ屋)へ玩具を卸して、当時の闇市やお祭り、縁日で露天販売してもらうために創業され始めました。
岸ゴム商店(現:キッシーズ株式会社)もこのころに創業されました。


■1947年(昭和22年)頃
ゴム統制が撤廃され、海外から生ゴム輸入船第一号が日本に到着。戦前に大人気だったゴム風船や水ヨーヨーが日本国内で生産されるようになります。


■1948年(昭和23年)頃
ゴム風船や水ヨーヨーが爆発的人気となり、縁日やお祭り、闇市販売でブームとなります。
このころから、風船の原価が売り値の1/3で、3分ネタとよばれ、そして3倍儲かる言われ、業界用語で「風船=チカ」と呼ばれるようになります。

水ヨーヨー・・・水チカ(スイチカ)
棒付き風船・・・縦チカ(タテチカ)
ヘリウム風船・・・上げチカ(アゲチカ)
棒で吊り下げた風船・・・棒チカ(ボウチカ)
毛笛・・・鳴きチカ(ナキチカ)


・「風船=チカ」についての解説
→露店用語では数字を以下のように読みます。
1(ヤリ)、2(フリ)、3(カチ)、4(タメ)、5(オテ)、6(ミヅ)、7(オキ)、8(アッタ)、9(ガケ)、10(チギ)
原価が売り値の1/3で3倍儲かるネタなので、カチ(3)ネタ、逆さ読みして、チカネタ、チカ=風船としたと言われています。

※風船の風(カゼ)の部分を取って逆さ読みし、ゼカがなまってチカになった、という説もあるようです。


■1949年頃(昭和24年)頃
このころから風船を売ると儲かるということで、玩具問屋を創業してゴム風船を販売する会社が増えてきたと言います。もちろん、ゴム風船の国内生産メーカーも増え、縁日、お祭りの露店販売で風船が販売されるのが定番化していきます。


歴史から見ても縁日玩具問屋は、ゴム風船販売とともに成り立ったと言っても過言ではなく、当時は「〇〇ゴム」という名前が付く会社が多かったのもうなづけます。
日本で現存する縁日玩具問屋で、一番歴史が長いキッシーズ株式会社(旧岸ゴム株式会社)も、ゴム風船の卸販売がルーツとなっています。

戦後このあたりの時期からは、現代にも残っているお面にもブームが訪れます。
戦前からセルロイド加工が得意だった加工メーカーが玩具やお面を作ることが多くなり、昭和2年に伊藤化工所として創業した、株式会社イトオーもいわいるセル面を作り始め、はんにゃ、おかめ、ひょっとこ、くらま天狗などを作っていました。
中でも、くらま天狗のむらさき頭巾、赤頭巾、白頭巾がとてもよく売れていたようです。
※このころのまだ小ぶりで小さく、1955〜60年(昭和30年〜35年)ごろから現在の大きさのものに変化したいった用です。

株式会社イトオーは、2022年3月をもって事業を終了しました。


■1950年〜1960年(昭和25年〜35年)頃
このころになると、ゴム風船は丸型の無地のものだけではなく、変形型や印刷がされたものが発売され、毎年ブームがありました。特に、顔つきの太陽風船と呼ばれる風船に、バルブと呼ばれる細長い風船をハチマキにして足を付けた「たこ風船(たこ八風船とも呼ばれた)」が爆発的ヒットとなり、昭和の縁日で子供たちが行列を作って買い求めた。


画像資料 旧日本ゴム風船商工会会報より


■1960年〜1965年(昭和35年〜40年)頃
1960年(昭和35年)に、タカラ(現タカラトミー)が発売したビニール製玩具の「ダッコちゃん」が大ヒットし、それに似せた抱っこちゃんゴム風船が縁日の露店販売でも大ヒット。また、同じころから耳付きのゴム風船、通称ミッキー風船が大ヒットし、業界内では業務用の赤い箱に入った赤箱や、青い箱に入った青箱の風船が飛ぶように売れました。


青箱画像 (有)葛飾ラテックス工業所提供
風船資料 旧日本ゴム風船商工会会報より


 
様々な形のゴム風船が登場し、縁日販売でヒットすることで、販売する露天商(的屋)さんも工夫をこらすようになります。動物や人間のように胴体を付けた風船や、現代のバルーンアート的な風船などもこのころから登場し、露店販売員の技術によっては人気店となって行列が出来る店も多くあったとか。
画像資料 旧 日本ゴム風船商工会会報より



■1962年(昭和37年)頃 ピーコックバルーン
詳しい成り立ちは不明ですが、このころにピーコックバルーン(羽衣パンチなどとも呼ばれたがメーカーによって名前がまちまちであった)という風船が流行りだします。当時は国内にゴム風船メーカーも多く、東京や埼玉の会社など各社で孔雀柄の風船が製造されていました。縁日などで、もみ殻やコメなどを中に入れて【シャカシャカ】と音のするパンチボールとして子供たちに大人気でした。

ピーコックバルーンに使われている孔雀の羽のような模様は、日本の伝統技法【墨流し】と言われる手法で作られています。それは液体に描いた模様を風船に転写するという、非常に繊細で手間のかかる作業です。現在では作っているメーカーは1社のみで、今でも熟練の職人の手によって1つずつ丁寧に作り上げられています。

日本で現存する唯一のピーコックバルーンを生産する、株式会社鈴木ラテックスは、この日本の伝統技法【墨流し】の技術を使ったピーコックバルーンの製造を、1990年代初頭に日本からマレーシア工場に技術移転し、海外での量産製造が開始されました。現在では、マレーシアからベトナムへ技術が継承され、ピーコックバルーンはベトナム工場で製造されています。
日本からマレーシア、そしてベトナムと国が変わっても日本の伝統技術が現在まで受け継がれています。

現在では風船の原料は液体ゴムが主流ですが、今から約100年前の当時は、輸送に時間がかかり取り扱いにくい液体ゴムではなく固形のゴムが主流でした。当時は、その固形ゴムを溶剤(ガソリンなど)で溶かし、液体ゴムの代わりにしていました。
現在では、固形ゴムを使用した風船の製造は行われていませんが、溶かした固形ゴムはピーコックバルーンやヨーヨー風船の模様付けに最適だったため100年前に使われていた基本技術が現在まで継承されています。


※情報提供 有限会社葛飾ラテックス工業所、株式会社鈴木ラテックス


現存する唯一のピーコックバルーン(鈴木ラテックス社製)


平成の初期からは、縁日で流行ったピーコックバルーンが、スーパーやショッピングセンターでの販促景品向けに大人気となりました。日用品の洗剤をまとめ買いするとピーコックバルーンがもらえる、など、スーパーで大きく膨らんだピーコックバルーンをおねだりし、親が渋々洗剤をまとめ買いする、などの思い出がある方もいるのではないでしょうか。


■1965年代(昭和40年代)頃 水鳥笛(みずとりぶえ)
このころには、水鳥笛や水笛といった名前のおもちゃが縁日の露店販売で大ヒットします。
もともと水笛(水鳥笛)は、古くは竹製、木製、陶器製のものが日本に存在していました。
その音色は本物の鳥のようで人気があったようですが、すべて手作りであった為、今よりも高価なものでした。

昭和40年代になると、当時高価であった水鳥笛を、もっとたくさんの子供たちに使ってほしいという思いから、国産プラスチックで安価に作ることで、お祭りや縁日販売で爆発的に売れたそうです。特に実演販売が上手な露店商のお店には、子供たちが列を作って並んで買い求めたとか。ソリッドカラーの単色の水鳥笛の他に、透明で中にビーズなどが入った差別化された水鳥笛が、当時は一番人気だった。





バードホイッスル(水笛)のふき口の先端から中に水を入れ、中に水が入ったまま、ふき口から息を吹き込むと、ピヨピヨ、ピロピロ小鳥のさえずりが聞こえてきます。※水の量や吹き込む息の量を自分で調整します。


こちらの動画でバードホイッスルの音色をお試しください。




■1967年(昭和42年)頃 スーパーボール
1965年(昭和40年)には、アメリカで開発されたれたスーパーボールが大ヒットし、その人気そのままに日本へ初上陸。日本でも大ヒットし、当時から安価な国産の類似品も多く流通しており、某有名お菓子のおまけにも採用されたほど。
当時の岸ゴム商店(現:キッシーズ?)でも、国産の安価なスーパーボールを卸販売しており、岸ゴム商店の創業者である当岸恒夫(当時社長)が、広島の金魚すくい露店商に「夏場は金魚が死にやすいので、スーパーボールを浮かべてすくってみては?」と提案したのが、実はスーパーボールすくいのはじまりだという。
半信半疑で行ったお祭りのスーパーボールすくいは、1日もたずに完売するほど大人気だったそう。

当時は日本国内にたくさんあったスーパーボールメーカーですが、2022年3月時点では4社のみとなっており、海外からの輸入商品が増えている。




     中国製のボール             国産の変形ボール           国産のボールアソート


■1970年(昭和45年)頃〜 巻き取り笛
今でも懐かし玩具としておなじみの、巻き取り笛。ほかにも吹き戻し、ピロピロ、まきとりなどと呼ばれていますが、これらの商品も、その商品だけでお店が成り立つような「一役(いちやく)ネタ」として縁日、お祭りで大ヒットした商品でした。

その歴史は古く、大正時代にはすでに国内で生産されていたとされ、一説によると、はじまりは置き薬屋の景品として大阪で作られ、そのために巻き取り笛は、薬を包む紙と同じものを使って作られています。最初は小さい巻き取り笛だけだったのが、1本の長いものが登場、二股の巻き取りや、三方向に吹き出る巻き取りなどの種類が増えてきたのが昭和45年ごろで、お祭り屋台でも珍しいとよく売れたそうです。




2022年点で、国産巻き取りのほとんどが関西地方の2社で生産されており、「地獄のピーヒャラ」というとてもユニークな商品も発売されております。






■1971年(昭和46年)頃〜 アメリカンクラッカー
1970年代にアメリカで流行った人気の玩具ということで、アメリカンクラッカーという名前や、カチカチボールという名前で一世を風靡した玩具。こちらのUFOクラッカーボールも70年代に生産されたという。紐の先にボールがついているので、ぶつけて音を鳴らしながら、いかに早くカチカチと鳴らせられるかを競った。腕や指にあざを作りながらも、昭和の子供たちは熱中し、一所懸命に遊んだ。

現UFOクラッカーボールのメーカー社長いわく、当時は縁日で露店商が実演販売をすることで爆発的に売れたので、遠方からわざわざ仕入れに来る露店商も数多くいたとか。人気絶頂のころは、プラスチックのボール部分がピンク色や半透明のものなど、数多くの種類が存在したそう。現在も国産で作られているUFOクラッカーは、部品の成型は機械で行うものの、各部品の取り付けやパッケージ作業は、昭和の時代から現在まですべて手作業で行っているという。

アメリカンクラッカーの人気ぶりと、その印象は強く、当時流行ったアニメキャラクターの涙目が、アメリカンクラッカーの様に表現されるなどしていた。



2021年からパッケージデザインがリニューアル                            過去のパッケージデザイン






■1979年(昭和54年)頃〜 マンハッタンホッパー
今では夜店の光り物の定番になっている、「光るカチューシャ」。これのルーツがこの時代に発売された「マンハッタンホッパー」という商品でした。
きっかけは、アメリカ、ニューヨークで行われていたデモ。デモ行進のなかに、とてもかわいい、そして異質なカチューシャをつけ、ひときわ目立っている女性たちをテレビのブラウン管を通して見た瞬間に、「次の縁日一役ネタはこれだ!」とひらめき、国内や当時主要な輸入元であった台湾へこのカチューシャ(当時はヘアバンド?)を探し求め、輸入したのがはじまり。
アメリカ(ニューヨーク)のデモからインスパイアされた商品だったため、「マンハッタンホッパー」という名前になったようです。
当時はバネの先に球体がついたものだけでしたが、お祭りでの爆発的人気をきっかけに、年々改良され、星形やハート型、光るものなどがばねの先にくっついた商品が順次発売されていったとか。



マンハッタンホッパーの装着イメージ




■1980年代(昭和55年)頃〜 カメレオン
ペーパーヨーヨーやペーパーローリング、カメレオンと呼ばれ、一役ネタ(この商品だけの販売でお店が成り立つ商品)としてお祭り販売で大ヒットした商品。びよーんと伸びた姿が刀のようで、チャンバラごっこをしてすぐに折れてしまった思い出がある方もいるのでは?

発売初年度は、とにかく売れに売れまくったらしく、平塚の七夕祭りでは露店商の若い衆が、毎日新幹線で2往復、商品仕入れのために名古屋のキッシーズ(当時:岸ゴム)の店舗まで取りに来ていたとのこと。(当社代表 岸則孝 談)

台湾製のものが主流でしたが、よく売れたので生産が追い付かず、日本製の国産商品も後発で発売されていました。時代の流れとともに、台湾製→香港製→中国製、となっていき、2022年現在主流となっている商品はほとんどが中国製品となっています。





■1982年(昭和57年)前後〜 発光体(光るブレスレット)
このころには、もともと釣り具のウキで使用されていた発光体を、光るおもちゃとしてお祭りの夜店で販売したことで、大ヒットを飛ばす商品となりました。発売当初は棒状の商品で、緑色に発色するもののみの販売でしたが、夜店での大ヒットを受け、ブルーやピンクなどのカラーが増えていったということです。

また、棒状の商品だけでなく、腕に巻き付けてブレスレットにできるように改良され、光るブレスレットとしたことでさらに販売に拍車ががかり、LEDの光るおもちゃ(光り物)が登場するまでは、この発光体、光るブレスレット類が夜店の光物として定番となっていました。

屋台のおじちゃんに「冷蔵庫で冷やすとまた光るようになる、何度も使える」と言われて買ってしまった人も当時は多くいたのではないでしょうか。ちなみに、これは事実ではなく、発光体は、低い温度では化学発光が進みずらく、光が弱くなる代わりに発光時間が長くなる、ということが間違って伝わったことによる誤解だと思われます。




2022年時点でも継続販売しているサイリュームやルミカライトと呼ばれている発光体商品
※サイリュームとルミカライトは株式会社ルミカの商標登録です。





光るブレスレットも使い方次第ではこんな風に遊べちゃいます。